電線を使わず遠く離れた場所と交信したい。この人類の夢はイタリア・ボローニャ出身の天才発明家「G・マルコーニ」によって1903年1月18日、遮るものがないここケープコッドの砂丘(マルコーニ海岸無線局)から、セオドア・ルーズベルト大統領よりイギリス国王エドワード7世へメッセージの発信によって実現しました。1888年、H・ヘルツが電磁波の存在を実証してから僅か15年後、世界初の大西洋横断無線通信の公式成功です。この無線局はタイタニック号の遭難信号をいち早く受信した無線局の1つとしても有名です。1909年にノーベル物理学賞を受賞し、1924年に侯爵に叙爵されたマルコーニは1937年、ローマで心筋梗塞により亡くなりました。享年63。イタリアは国葬でその功績に報い、世界中の無線局は2分間の沈黙でこの天才に弔意を現しました。そんないい話を聞きながら「うっとり探偵団」が飲んでいるのが極上のアイリッシュ・ウイスキー「Jemeson」。マルコーニの母方の実家でもあります。
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一方では無線を発明したのはN・テスラだという議論もあります。無線でメッセージを送るというアイデアは、1800年代初期のH・C・エルステッドとM・ファラデーのような物理学者の実験にまで遡ります。 エルステッドは、電流が磁界を作り出すことを解明し、数年後ファラデーが磁気の動きが磁気と電流が触れていなくても隣接する電線を通して、電流を動かすことができる電磁誘導を発見。1800年代までに科学者達は電荷の動きが今日我々が知っている電波を作り出すことを知りました。そしてN・テスラ・・・1890年代に彼は大きな電線コイルのバージョンを通して交流電流を発生させました。 電流はコイルの周りの磁界の変化を作り、順番に電線コイルに隣接するほかの電流を作り出し、50キロ先まで電波が届くということに気づいたのです。テスラは全ての特許権を取りました。
しかし、テスラは彼の電波を通してメッセージを一度も送ったことはありませんでした。彼の主な興味は無線のパワーであり、無線通信自体ではなかったのです。そして1895年に80キロ離れたウェストポイントまでメッセージを送信するための実験室が火災で消失、電波の発明に対する称賛や希望も消えてしまったのです。理由は同じ時期に、同じ課題に取り組んでいたマルコーニ。1901年、彼は大西洋を超えてメッセージを送るための無線電の実験に成功、そして1903年のルーズベルト大統領の親書送信につながったのです。栄光も挫折も紙一重の歴史です。