集団の罠/Society | 認識の罠/Conscious | 知覚の罠/Perception | 宇宙の罠/Alien |
鳥の群れや小魚の群れがひとつの有機体のように振舞う。それは生存に有利に働く反面、裏目に出ると全滅の危機に・・・それが判っていて人は何故、集団になると愚かになるのか。3人だと「文殊の知恵」になるのに、大勢だと「愚集」となる不思議。一方、一人きりでは極限状態が潜在能力を引き出すかのように作用して奇跡の生還を果たすことも。そんな人と集団の不思議を探検します。
人は極限で意思決定を集団に委ねる。
集団の罠 NY 9・11テロで全員が犠牲になったサウスタワー89階と全員が助かった88階。
最初にロビーに降りながら再びオフィスに戻った富士(現みずほ)銀行社員。
2001年の9・11NYテロ。「何が起こってるんだ!」。テロだと判ったのは後のこと。サウスタワーにいた人の殆どは事故だと考え、館内放送も階に留まるように指示していました。更に「テロ」を想像した人ですら1993年の爆弾テロではエレベータに閉じ込められたり、外へ出て大怪我をした話しを思い出して全員が階に留まりました。別の階ではいち早く逃げた人につられて避難したKBW社の88階は全員が助かり、留まった89階の同じKBW社の全員が犠牲に(1名除く)・・・実は誰よりも早く地上に降りたのは81階の「富士銀行」の社員達。しかし警備員の「大丈夫です。戻って下さい」の言葉に従って死地に戻った・・・このテロでは日本人386人中24人が犠牲になりました。どちらが正しい判断かは結果論。
もし2機目の突入がなければ避難した人達は「臆病者」と笑われたかも知れません。問題はなぜ極限状態では人は意思決定を「自分」ではなく「他人=集団」に委ねるのか?集団行動した方が生存率が高いという群れの本能なのか、集団化することで恐怖心から逃れたいのか。そこには想像を絶する「隠れた脳」の挙動があります。
なぜ逃げられない。煙が充満しているのに座席に座ったままの地下鉄乗客。
2003年2月18日、韓国大邱の地下鉄中央路駅で構内で自殺願望の男が飲料用ペットボトルの中からガソリンを振り撒いて放火。死者192人を出す大惨事となりました。この事件の特異性は死者の大部分142名は現場に到着した対抗車両の乗客だったこと。事故直後の当局の対応の不手際によるとはいえ乗客も不可解な行動をとっています。煙が充満しているのに座席に座ったまま。ドアが開かなければ窓を開けるなり叩き割る。ホームに停車しているだけに逃げる手段はあった筈・・・とは「正常時」の判断。パニックでは人は「凍りつく」・・・日常性バイアスの恐怖です。
パニックと聞くと慌てて出口や救命ボートに殺到する群衆。映画でお馴染みの光景を想像しますが実際は逆です。人は思考停止になって凍りつく。だから集団で行動すれば必ず手遅れになる。まず逃げられる人間から逃げる・・・つられて逃げる人が出る・・・助かったら支援に回る。最後は「運」ですが「助かる確率」は上がります。人はいつ死ぬか判らない。厳然たる事実なのに日本人は「縁起でもない」と言う人が殆ど。ひたすら恐ろしいものに怯え、目を背ける。これでは助かる命も助かりません。マニュアルがあるから?とんでもない。災害が予測どおり展開する筈がなく、人も平常時の訓練のように冷静・円滑に行動しないことは様々な事例から明らか。一方では・・・
極限状態で現れる「救世主」。奇跡の生還者が証言する「サードマン現象」。
2011年11月にNHKで放映されて話題に。遭難や災害から奇跡の生還を果たした人が共通の体験として自分以外の「存在」を感じた。「生きろ!」「こっちだ!」と自分を励まし導いてくれた「存在」です。その実感の強さから「サードマン」或は「救世主」と呼ばれますが、それが「火事場の馬鹿力」なのか、極限で研ぎ澄まされた生存本能なのか、人知を超えた現象なのか、もしかしたら助からなかった人も同じ体験をしたのかも。ならばそれは偶然の結果。後知恵で必然の「物語」として語るのかも知れない。確かめようもなく、今の科学では判りません。ただ「集団」だと簡単に思考のスイッチが切れるのに、「個人」だと生き抜くための行動スイッチが入る不思議。「探偵団」の興味の原点です。
世界は狂気と不条理に満ちている。
世界感の罠 日本の常識は世界の非常識。権利・平等・正義を叫ぶ日本の外では・・・
民間人を平気で殺す狂気・危険地域を平気で飛行する航空会社の異常。
最近では10月31日、機内の爆弾が原因とされるシナイ半島でのロシア旅客機の墜落。2014年7月17日には乗客乗員298人を乗せたマレーシア航空機がウクライナ東部で墜落。ウクライナ政府は、親ロシア派勢力による撃墜との見方を強めています。このマレーシア航空機には、マレーシアはもとより、オランダ、イギリス、ドイツなど各国の民間人が乗客として乗っていました。一説には最新の地対空ミサイルの操作に「素人」の現地武装集団による誤爆とも。1983年9月1日に大韓航空のボーイング747が、ソビエト連邦の領空を侵犯したとしてソ連防空軍の戦闘機により撃墜された事件を思い出します。この時は乗員乗客269人全員が死亡しています。20年経っても同じ狂気が繰り返されるということは今後も同じことが起こりうる・・・恐ろしいのは事件そのものだけでなく、それが日常化している現実です。
嫁を惨殺して名誉殺人・・・イスラム、ヒンズー社会に潜む狂気。
昨年10月19日のAFP通信です。アフガニスタン西部へラート州で、嫁ぎ先の家族から売春を強要され、断った女性がクビを切断されるという事件が発生し、警察当局は17日、この事件の容疑者4人を逮捕したと発表しました。へラート州の警察当局によると、犠牲者の女性(20歳)は前週、嫁ぎ先で義理の母から家にいた男性との売春行為を強要され、これを拒んだために殺害されたという。事件の容疑者として女性の夫と義理の父母、さらに実際に女性を殺害したとされる男の4人が逮捕されました。
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インドにも生きたまま未亡人を焼き殺す”サティー”という恐るべき奇習があります。1987年9月4日、18歳のループ・カンワルは病死した夫の遺体と共に生きながら焼かれました。8ヵ月にも満たない結婚生活でした。この事件が起きたデオララ村は有名な観光地ジャイプルから車で90分。カンワルは死後女神として讃えられ、以降、村は巡礼地となり、25~30万人もの人々が詰め掛けたと言われてます。カンワルは高卒の女性、夫は理工系大学を卒業、医師を志望していました。夫の父は修士課程を修了した公立高校教師。知性も教養もある一家ですらこの有様・・・集団バイアスの恐ろしさです。
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2010年8月7日号の米「タイム」誌が表紙に掲載した衝撃的な写真が世界的な話題を呼びました。被害者はビビ・アイシャ(18)。夫の暴力のため婚家から逃れて家族のもとへ戻ろうとしたアフガニスタンの女性でタリバンの司令官によって夫からの逃亡罪を言い渡され、罰として夫の兄弟に押さえつけられ、夫によって耳と鼻を切り落とされ、捨てられていたところを援助活動家と米軍によって助けられました。彼女は撮影後米国に渡り顔の再建手術を受けています。未だこんな「社会」が存在しているのです。
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「宗教と正義」が欧米列強の狂気を正当化する。
歴史の罠。 アフリカ、アジア、中東、南北アメリカで侵略と殺戮を繰り返した白人国家。
大抵の人はスーダン、ソマリア、イラク、アフガニスタン、ボスニア、ウクライナやチベット自治区などで繰り広げられる惨事を眼にしても「またか」の反応でお終い。「近代化できない後進国」「民度の低い連中」・・・これこそ我々に潜む隠れた優越感です。ではその民度を低くしたのは誰か・・・彼らを対立させ、そこに割って入って様々な資源や利権を押さえているのは他ならぬ欧米列強です。
古くは11世紀の十字軍から15世紀の大航海時代から始まるアフリカ・南米・アジアへの侵略と殺戮。南米の原住民を殺しまくり、アフリカから奴隷を”調達”し、アメリカインディアンをほぼ全滅させ、イスラム社会やヒンズー社会を”分割”したのは”白人社会”です。西洋人の祖先は「略奪」で生き延びた狩猟民族。そして「銃・病原体・鉄」で世界を支配・・・全て「正義」の名のもとに行われました。自分達の教義を受け入れない異教徒や原住民は人間ではない。だから殺すことを厭わない・・・宗教は人を救う反面、殺戮に免罪符を与えます。侵略・植民地化を重ねてきた欧米社会が急に”善人”になるとは思えません。西洋人の意識の奥底には「非西洋人」に対する拭い難い優越感が潜んでいます。悪魔の所業と言われる38万人の犠牲者(原爆死没者名簿)を出した「原爆投下」もドイツではなく日本でした。末期症状だった日本に落とす必要性は全くなく、明らかに生体実験であり、次の仮想的国ソ連への恫喝だったと当時のアメリカ軍首脳が証言していますが、今でも実態を知らないアメリカ国民の6割が投下を正当化しています。映像などで原爆の実態を知ったアメリカ人でさえ「この残虐な現実があったからこそ人類は核使用を抑止するようになった」「南京大虐殺をした日本への天罰だ」・・・これが欧米の論理です。
日本では「憲法9条」が声高に叫ばれていますが、日本の憲法は元々アメリカ軍が泥縄式で作ったもの。その目的は黄色人種である日本が二度と白人国家に立ち向かうことがないようにすることでした。それには自虐史観を植え付けるのが一番。それは見事に成功して、中国や韓国が国是としている「侵略国家日本→謝罪しろ→悪いと認めたのだから賠償しろ」と騒ぎ立てる度に日本人は贖罪感に苛まれるという訳です。欧米はそれをほくそ笑んでみています。日本がいつまでも「元侵略国家」であるかぎり原爆投下が正当化され、自分達の植民地支配の過去が薄れる・・・こんな図式は世界で日本だけです。日本の外交とプロパガンダが稚拙な証拠ともいえます。
理解も誤解も恐怖と欲望の産物。
理性の罠。 嫌なものは認めない。好きなものはすぐ判る。「認識」とはしょせんこの程度。
100年以上前は世界は欧米列強の殺戮によるアフリカ・南米・アジアへの侵略の時代だった・・・歴史の常識です。でもハイカラな街並みと高い文化を持つ欧米社会がそんな残虐なことをしたなんて「信じられない」・・・好きな人の言うことはよく判るが嫌な相手や卑下した相手の話は判らない・判りたくない。理解とは願望であるとは山本夏彦翁の卓見ですが、人間の理解や認識なんてしょせんこの程度です。それは無意識に潜む劣等感・脅迫感、その裏返しの優越感や願望の産物です。今や日本人も中国人も欧米と肩を並べて対等な付き合いをしていると思い込んでいます。それはビジネスの世界・・・相手がお客なら犬にでも愛想を振りまくのが商人の根性。そんなDNAのレベルにまで定着した白人の有色人種に対する優越感に気付く日本人は多くありません。いい気持ちにさせられて判断力が麻痺しているからです。しかし利害が対立すると彼らは一変します。
一番判りやすい歴史が日露戦争。司馬遼太郎は「東洋でまことに小さな国が開花しようとしていた」なんて大らかな話をしていますが西洋社会にとっては悪夢の始まり・・・猿(マカク)と大差ない「東洋人」が突然「白人」に牙を剥いて、しかも勝ってしまった(本当は引き分け)。その衝撃は白人社会にとって巨大隕石が衝突した程の衝撃でした。勿論、植民地支配の構造が崩れる利害もありますが、猿が口をきいてしかも白人を逆支配しかねない「猿の惑星」のような生理的な恐怖の方が大きかった筈です。これが白人社会の「生理的トラウマ」です。切羽詰ったら彼らの隠れたDNAが息を吹き返します。理性なんて大衆の恐怖と願望の前にはひとたまりもありません。愚行は繰り返される・・・人類最大の「どっきり」です。