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集団の罠/Society 認識の罠/Conscious 知覚の罠/Perception 宇宙の罠/Alien

知覚も記憶も体験の「記録」ではなく脳が編集した「結果」であることは、近年になって明らかになった脳科学の成果ですが、多くの人はその事実に気付かない・認めない・・・知覚だけでなく認識も同じです。だから愚行を繰り返す。百聞は一見に如かず・・・まずは我々の知覚や認識は簡単に壊れるという現実から。

人間の知覚の不思議を試すならここ違って見える(聞える)知覚存在しない色・形を見ている 赤と緑は4000万年前に発生子供が騙されない理由(錯視)定義が曖昧な感覚の働き目撃証言の落し穴隠れた脳(シャンカール)・ヴェダンタム:合同出版 錯覚の科学(クリストファー・チャブリス他):文藝春秋 写真のワナ(新藤健一):情報センター人はなぜだまされるのか(石川幹人):講談社 脳の中の幽霊(V・ラマチャンドラン):角川書店

 錯覚も進化の代償。   「まさか」は割と起こる。

人間の知覚は簡単に騙されます。劣っているからではなく、目の前の事象に素早く対応するためには何が起こるか「予測・想定」する方が有利だからです。大抵は予測通りになりますが、タマに外れます。ガラスに衝突する鳥の群れや、海岸に打ち上げられるイルカの群れのように危険予知能力に優れた動物でも未知の物理現象にはあっけなくやられます。予測・効率の裏側には確率という罠が潜んでいます。進化と適応能力の代償です。そんな「未知の危機」でさえ新たな適応や進化の材料になります。

 
「滑走路上に飛行機がいる!」・・・1977年3月27日、スペイン領カナリア諸島・テネリフェ空港の滑走路上で離陸体勢に入っていたKLM4805便の前方に待機用出口を間違えたPANAM1736便が正面から接近。回避操作も間に合わず2機のボーイング747型機同士は衝突、乗客乗員583人が死亡する航空機史上最悪の惨事となりました。急な濃霧や誘導ミスが重なったとは云えその根本には「まさか」「だろう」の思い込みがあった・・・アメリカでは過去4年間で滑走路への深刻な侵入が121件発生しています。「まさか」は「たまに」起こるのです。

 大きな数字はピンとこない。   「経験・知識」は裏目に出る。

誰もが手に入り、簡単に人を殺せるモノ、しかもこのモノによって毎日34,000人が犠牲になっている・・・こんな大事件がなぜ報道されないのか。そのモノとは「車」だからです。誰もが怖がる飛行機事故の死者は世界で年間900人前後、誰もが乗る車の事故死は124万人前後。又、貨物船に取り残された子犬の救出に何億もの募金が集まる一方、1回分19円のワクチンが不足して毎年150万人の乳幼児が命を落としている・・・どんな深刻でも「数字が大き過ぎる日常的な事象」は報道されません。我々は数字ではなく実感できる「物語」を求めているのです。ニュースもそれに合わせているだけです。

 
東日本3.11でも「まさかここまで津波は来ないだろう」「まさかこんな時間には来ないだろう」「引き潮がないから大丈夫だろう」・・・点呼と議論に50分も費やして84人が犠牲になった大川小学校・・・中にはせっかく裏山に逃げたのに引き戻されて犠牲になった児童も・・・学校側は「過去にはなかった、想定外だった」。そもそも想定外のことが起こるのが天変地変。太古の地球は隕石が降り注いでいました。いつの間にか「起こって欲しくない」が「起こる筈がない」にすり替わる・・・人間の経験や知識なんてそんなものです。無能な教師だけを責められません。

 未来の地球より明日の生活。    神話や伝承に潜む記憶。

我々は「小さな変化」には敏感ですが「大きな変化」には鈍感です。日々のニュースには過敏でも歴史や進化の変動には魯鈍・・・そんな人間の関心空間はますます軽薄短小化しています。例えばこんな質問・・・「我々が見ている世界は本当なのか?」。これでピンとくる人はかなりの人。大抵は「ん?何のこと?」・・・理由は簡単、世の中の動きや常識に何の疑いも持たないからです。「まさか」世の中の方が間違っているかも知れないとは露ほどにも思いません。しかし時空を広げて見れば、世界も歴史も仮説と偶然と思い込みの産物に過ぎないことが判ります。

 
昔BBC製作の映画でこんな場面がありました。英国の調査団がニューギニアの奥地で原住民に接した時に奇妙な祭壇に気付きました。巨大な鳥です。いつ頃の神様かと聞くと1941年頃「神」が空を横切ってから・・・太平洋戦争時のアメリカ爆撃機の飛行ルートと一致しました。何の知識もない原住民にとっては衝撃的な体験を祭壇に残したのです。逆算すると今は神話とか伝説になっている物語の中には、古代人が体験した衝撃の記憶が潜んでいる可能性があります。「空想」とは根も葉もない妄想ではなく、とんでもない記憶の手掛りかも・・・空想には「想定外」はありません。

 戦争を起こすのは独裁者ではなく大衆。    永遠の謎。性(さが)と業(ごう)。

第二次大戦末期1945年2月13日から15日にかけて連合軍によって行われたドレスデンへの無差別攻撃の映像を見て我々はナチスの狂気を映像で見ているので多くの人は内心「当然の報いだ」と感じます。僅かな人が「ドイツ国民もナチスの被害者だ」と同情します。しかし我々は忘れてならないことがあります。そのナチスを生んだのは戦後賠償に苦しむドイツの「民主的なワイマール憲法」だという事実です。植民地・列強という「欲望」が生む戦争は制御できても、やらなければやられるという「恐怖」の連鎖が生む戦争を人類が制御できるのはいつになるやら・・・
 
俗なマスコミが吹っ飛ぶ言葉があります。「人の発明である神の性なぞ大した不思議ではない。真に深い謎は人の業にこそある」(小堀南嶺師)。或いは「理念なき技術者による人工知能が人類を滅ぼすかも知れない」(ホーキンス博士)。これが今のIT社会に一番欠けているもの「知性」です。「みんなの意見は案外正しい」なんて話は考える力・感じる力を放棄する愚衆を増やすだけ。「ビッグテータ」がその後押しをします。チャップリンの「モダンタイムス」は「機械に支配される人間」の悲喜劇でしたが今でもマスコミは「ITに支配される市民」が大好きです。



なぜ我々はなぜに弱い?
「なぜなんです?」

「なぜ○○は○○なのか」なんて言われると答えの方に気をとられて設問は既定の事実であるかのように錯覚するからじゃないんですか?なぜこんな話をするのか判りますか?」

「なぜなんです?」

「我々は無意識のバイアスから逃げられないということです。何かエライことが起こると”羹に懲りて膾を吹く”・・・そのくせ”喉元過ぎれば熱さ忘れる”・・・頭では判ってもいても欲望と恐怖には勝てない・・・そんな人間に潜む性(さが)の話です」

「それがこの”どっきりアカデミア”のテーマという訳ですね。言われて見れば納得する話ばかりですね」

「そうして納得する”どっきり”が人間の”性(さが)”。どんなに説明されても納得できないのが”業(ごう)”・・・ある高僧はこんなふうに言っています。”神が人の発明である。だから神の性なぞ大して不思議ではない。真の深い謎は人の業にこそある”・・・恐ろしい言葉ですよ」

「したり顔でものを言っている”解説者”がバカに見えますね」

「西洋には”広がり”の思想はあっても”奥行き”の感性はないのかも知れない・・・なんてしたり顔の説明でしたが取り消します」

「取り消してないじゃん・・・」


動画ギャラリーは現実に起こっていること、起こるかも知れないことを集めたもの・・・YouTubeも頑張っていますよ」