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風景に潜む「魔性」・・・それは「原風景」として細胞を酸素で満たす陶酔や覚醒だったり、或る晴れた日に、渡り鳥を何万キロの彼方まで飛び立たせる、或いは探検家を地の果てまで駆り立てる、或いはかって人類を未知の世界に旅立たせた得体の知れない「何か」です。そんな風景に潜む魔性を探検します。6分の陶酔と覚醒のスライドです。

人と風景の関係を探検する。風景プロジェクト
レイヤの風景 芸術の風景
人と風景の様々な関係を探検します。スマホやiPadでは自動再生ON。は→ Flash用の閲覧ソフトをインストールすることで陶酔と覚醒の原風景が展開します。


風景に潜む底知れない力を感知する。風景学入門
 誰もいない場所・誰もいない時 ・・・人は風景からのメッセージを”受信”する。
     
  1960年代、アメリカ西部でいつも同じ場所で車が道路から外れる事故が多発。誰もが「単調な風景が眠気を誘った」と考えました。しかし認知心理学者は、彼方のシェラネバダの峰々と雲間からの後光が「神が宿る光景」に見えて運転者に一種のトランス状態を引き起こすことを突き止めました。麻薬や催眠ではなく風景の中に「魔性」が潜んでいる・・・それはかって人類を途方もない旅に誘った衝動の「痕跡」かも知れない・・・想像するだけでゾクゾクします。そしてある晴れた日に、誰もいない海岸や平原や森で、劣化・麻痺していたアンテナが蘇って、その「信号」を受信できるかも知れません。そんな魔性の風景学です(← 画像をクリック)。
     
風景には子供の情景をつくり出す力が潜んでいる
 心地よい大海風と砂の感触。生命が一番光輝いていた風景を追体験する。
     
  生命(いのち)の輝きとは、無心に遊ぶ子供の細胞が完全燃焼している状態かも知れません。細胞が甦れば感じる力・考える力・生きる力も蘇る。それが究極の官能「蘇生感」です。そんな子供の情景を追体験できる場所があります。マサチューセッツのボストン湾に伸びる半島「ケープコッド」・・・狭い半島の中に湿地帯と草原と潅木林、無数の池と入江が混在する砂の半島です。どこまでも続く砂丘を素足で歩く砂の感触、皮膚に当たる大西洋から潮風の感覚・・・この白日夢のような半島を彷徨うだけで細胞が酸素で満たされます。ここは子供時代の懐かしい原風景を追体験できる場所なのです(← 画像をクリック)。
     
風景には人を郷愁で包む力が潜んでいる
 何気ない日常風景にも、細胞をうっとりさせる”懐かしさ”が潜んでいる。
     
  大きな影に怯えていた子供がやがて夢少女・空想少年に成長する。その舞台は「日暮れの丘」・・・ラジオから流れてくる「紅孔雀」の主題歌が子供を空想世界に誘い、やがて星の瞬きと共にやってくる銀河鉄道で南十字星へ向かう・・・幻想は夢少女・空想少年の最大の源泉でした。ここ三浦半島にはそんな郷愁の風景が丘の上や崖下の海辺や、里山の谷間に横たわっています。「観光地へ行くお金も時間もありませんよ」なんて嘆くより、子供の情景に身を置いて郷愁に包まれる・・・細胞が酸素で満たされてうっとり・・・この蘇生感が味わえない人は不幸です。その実体を「うっとり画報」や「うっとり図鑑」 で報告します(← 画像をクリック)。
     
風景には人を陶酔させる力が潜んでいる
 居間を気持ちのいい空間にするのではなく気持ちのいい場所を居間にする。
     
  昔のお金持ちや貴族が風景を貸し切りで楽しんだ「ピクニック」や「野点(のだて)」・・・それを更に進化させたプロジェクトが「風景との同化」。居間を気持ちのいい空間にするのではなく、気持ちのいい場所を居間にする。誰もいない時、誰もいない場所へ「床とテーブルと椅子」を設置するだけです。勿論、簡単には実現できません。設置・撤去・排水・使用許可などの技術的問題はクリアできるとして、最大の障害は敢えて言えば「大衆=愚衆」。車で道を塞ぐ・ゴミを棄てる・立ちションをする・・・白川郷の「故郷活性化」の失敗がいい例です。マスコミにも責任の一端があります。「いいもの・美しいもの」を守る・活かす取り組みは進んでいます。当面はギャラリーで楽しんで下さい(← 画像をクリック)。
     
風景には人を夢と欲望に誘う魔性が潜んでいる
 人間が一番元気だった時代。摩天楼が夢と欲望の象徴になった1900年代のアメリカの残像です。
     
  19世紀末の第二次産業革命は広大なアメリカで爆発しました。ロックフェラーの石油が、カーネギーの製鉄が、ヴァンダービルトの鉄道が、フォードの自動車が、エジソンの電気が、ベルの電話が瞬く間に全米中に広がっていきました。労働力はいくらでも必要で、ヨーロッパやアジアから大量の移民が殺到・・・多民族国家アメリカの誕生です。ニューヨーク、シカゴ、ロサンジェルスなどの大都市には天にそびえる摩天楼が夢と欲望の象徴として人々を見下ろしています。こうして幕を開けた20世紀は僅か数十年後には世界を地獄へ引きずり込んだ2度の大戦を引き起こしています。写真ギャラリーには超精密な8×10インチ乾板ガラス写真が「良き古き時代」に潜む魔性を見事に写し撮っています(← 画像をクリック)。
     
レイヤーには風景の印象を一変させる力が潜んでいる
 どんな風景を見るかでなく、どこから見るかで印象は一変する。それがレイヤー。
     
  同じ海辺でも生身で砂浜に座って海を見ている時、我々は単純に「風景に身を置いている」と感じます。しかし部屋の窓越しに見る時はその部屋の在り様で風景の印象は大きく違ってきます。例えば小洒落たカフェから眺めれば「陶酔」。絶海の牢獄から見れば「絶望」。「額装効果」と呼ばれるこの心理的作用は風景そのものに絶対的な要素があるとは限らず、時と場合によっては、我々は脳内で作り出した幻想を見ていることを示しています。時にそれはベテラン機長や船長に大惨事を引き起させる何かでもあります。Galleryボタンで風景とレイヤーを切り替えてみて下さい。そこには風景の印象が一変する不思議があります(← 画像をクリック)。
     
風景には人を芸術家にする力が潜んでいる
 自然は芸術を模倣する・・・それは人間だけが創りだす脳内世界の魔性なのか。
     
  我々は美しい風景を見た時に思わず「絵のようだ」と表現しますが、「芸術のようだ」とは言いません。芸術はあくまで作家が創り出した「作品」に対しての表現です。なぜオスカー・ワイルドは自然を「模倣する側」に位置づけたのか・・・それは人間の側に予め「美の基準」があって、作家はそれを再構築する、その創造性こそ至高の存在と位置づけたのかも知れません。しかし「うっとり探偵団」は別の考えがあります。脳は常に美しい風景を探しているとは限らず、透き通るようなある晴れた日に、細胞の奥底に潜む原始記憶を刺激する信号を受信する・・・それは渡り鳥を1万キロ以上も飛び立せる信号と同じものです。そんな出会いも自分だけの「芸術」です(← 画像をクリック)。
     
記憶の源泉。原風景は今も成長を続けている
 細胞を酸素で満たす陶酔と覚醒の産物「原風景」は至福の脳内世界。
     
  最新の脳科学によれば「記憶」とは体験を写真のように正確に「記録」しているのではなく、抽象化された「感じ」。それはしばしば物語や風景と結びついて心の奥底に潜んでいる・・・これが「原風景」、時に原体験とも呼ばれる世界です。それは空想少年・夢少女の時に見たり感じた光景、大人になっての印象的な光景が「思い出されやすい」ように編集・改ざん・時に創作されて出番を待っています。何のために・・・理由は簡単。原風景は細胞を酸素で満たして陶酔と覚醒を齎すからです。それはかって人類に進化を促した衝動の痕跡であり、今も成長・熟成し続ける根源的な至福です。このギャラリーにはそんな心に潜む原風景があります(← 画像をクリック)。
     

夢中で走ったあの頃へ「風景学なんて学問があるんですか?」

「風景には3種類あります。”日常の風景”とその延長にある”観光の風景”、そして我々を魅了する”魔性の風景”です。それは細胞を直撃して陶酔感や覚醒感を齎したり、時に人を途方もない行動に駆り立てる存在です。渡り鳥や古代人や空想少年が見た風景と同質なものです。ある意味、最も広がりと奥行きのある世界です。学問というより探検の対象かも知れません」

「風景に魔性が潜んでいるなんて聞くだけで興奮しますが、生活に追われている普通の人にはピンとこないのでは?」

「日常に埋没している普通の人こそ当事者です。人と社会を動かすのは欲望と恐怖ですが、過度のバイアスで、生命にとって最も大切な”感受性=アンテナ”が麻痺している、それに気づかない・認めない。劣化したアンテナには歪んだ世界しか映りません。だから更に欲望と恐怖の虜になって酸欠を招くという悪循環。特に追いかける欲望は抑えられても、追いかけられる恐怖は止まったら終わり。戦争も恐怖と閉塞感の産物です」

「自覚症状のない人には理解し難い話では?」

「だから難しい理屈より百聞は一見に如かず・・・見るだけです。それがこのギャラリー。少しでも陶酔感や覚醒感を感じればアンテナが機能している証拠です。少なくとも細胞が酸素で満たされて気分は良くなりますよ」

「そんな風景に囲まれて暮らせたら最高ですね?」

理想は、好きな時に、好きな場所で、好きな風景に囲まれて生きる。見方によっては高級ホームレス、見方によっては漂泊の詩人・・・そこには限りない開放感があります。勿論、普通の人には無理な話なので、まずは映像で味わってもらう・・・それだけでも細胞が酸素で満たされます」


「お金は絶対条件ではないんですね?」

「逆に金持ちなら自由の旅に出るか・・・出ません。同じ価値観の中で”勝ち組”であることを実感できる立場を捨てることはありません。金持ほど金に縛られる。人も社会も欲望と恐怖で動くバイアスから逃れるのは容易ではありません。個人主義のヨーロッパでも追い詰められればナチスを生む。集団の怖さを判っていてもそこから抜けて一人で生きられないのが普通の人です」

「それは街並みにも反映されるんでしょうか?」

「鋭い質問だね、明智君!名は体を現す・街並みは社会を現す・・・不思議なことに日本の街並みが雑然としているのに対して、個人の趣味を主張してもよさそうなヨーロッパの街並みは整然としている。それは自分の住む街が”誇り”の対象だからです。そのためにうるさい規制や規則も受け入れる・・・日本の街並みは生活の風景、西洋の街並みは人生の風景といわれる所以です」

「風土と文化の違いじゃないんですか?」

「更に鋭い!日本は四季に恵まれた豊かな風土ですが地震や台風などの自然災害も多い。火事になれば木と紙の建物はひとたまりもありません。街並みに対する執着心が薄いのは風土と文化の産物かも・・・風土に逆らえない・逆らわない日本と、風土と対決・克服してきた西洋との差ともいえます。ここを押さえておくだけでも風景の見方が変わりますよ」

「より根源的なレベルで風景と接するんですかね?」

「ヨーロッパの風景は優しさより厳しさがある。その分アンテナの感度も鋭くなる。我々が憧れる生理的・動物的なレベルでの風景との出会いです」

「動物にも魔性を感知するでしょうか?」

「ある晴れた日に鳥や蝶を1万キロを超える彼方まで飛び立せる行動に駆り立てるには、細胞は化学変化を引き起こすほどの”メッセージ=力”を風景から受信している筈です。その信号を我々は魔性と呼んでいます。それこそ人間が”神の啓示”とか”芸術の閃き”と呼ぶ成分に違いありません。このギャラリーがその実体に迫ります」

「現代人に感知できるものなんですか?」

「人間が進化したのは、どの動物よりも未知の可能性に敏感だったからに違いありません。古代人も可能性につながる風景の変化を見逃さなかった筈です。我々も子供の頃、海に向かって一目散に駆け出して波しぶきを浴びた原体験があります。海も空も雲も輝いていた・・・それが太古の名残かも」

「好奇心と感性とどう関係あるんですか?」

「好奇心が強くなればアンテナの感度は上がる。アンテナの感度が上がれば好奇心はより強くなる。聞こえなかったものが聞こえる、見えなかったものが見える。これ以上の官能はありません。曇った夜空を見上げるのと、満点の星空を見上げるほどの違いがあります」


「何故みんなやらないんですか?」

「麻痺ですよ。日常に追われて気付かない間に最も大事なアンテナが劣化・麻痺している。東日本3・11でそれを思い知らされた筈・・・日頃、欲望と恐怖にしか関心も好奇心も払わないツケとも言えます」

「厳しいですね。しかし生命アンテナの劣化・麻痺が命に係ると言うのは同感ですね。どうしたらそれを取り戻すことができるんですか?」

「ようやくまともな質問になったね明智君!僭越ながら”忙しい日常人”に代って、我が”うっとり探偵団”が妖しを求めて西東・・・細胞が蘇るギャラリーを作り続けます」