陶酔 / Academia

魔性の雲と灯台に打ち寄せる波。悪夢と白日夢が入れ替わるテラスです。。
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新表現/原風景アカデミア
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 覚醒と陶酔を変えてみる 

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原風景「白日夢」  うっとり探偵団「アカデ ミアサロン」 Academia Salon by Uttori Tanteidan 


屋上テラスから眺める灯台の岸壁に打ち寄せる波。ここには白日夢のような「透明な陶酔」があります。人によって印象が違う「覚醒の風景」と違って「陶酔の風景」は誰もが感受性に関係なく、脳内に酸素が満ちてうっとりします。しかし、わざわざ「透明」というのには訳があります。同じうっとりでも「陶酔」と「恍惚」は違うからです。細胞が酸素で満たされるのは「透明な陶酔」。無心に遊ぶ子供の細胞と同じものです。一方、脳内がドーパミンで満たされる「恍惚」はギラギラした大人の情念が、良くいえば昇華したものともいえます。「美しい風景」や「陶酔の風景」にもその成分に違いがあります。そんな風景に潜む成分を「うっとり探偵団」が探検します。

同じうっとりでも「美しい風景」と「陶酔の風景」とどう違うのか。美しい風景には「絵のように」という形容詞がつきますが、陶酔の風景にはそれ自体が形容詞なので「のように」は付きません。視覚の世界と情念の世界の違いです。美術の例だと判りやすいかも知れません。モネの「印象・日の出」やシスレーの「サン・マルタン運河の眺め」を見ると彼らが移ろいやすい自然の「光の妖し」を捉えようとしているのが判ります。かって風景は肖像画の背景の一部に過ぎず、しかも「神の領域=縄張り」だった時代。それまでは静物画や肖像画はもちろん、風景画でさえもアトリエで描かれていました。要するに印象派が「光の妖し」に気づいたのは戸外で制作することで、瞬間的な日の光だけでなく、それが変化していく様子も観察できたという嘘みたいな歴史があります。

一方、カラバッジオの「恍惚のマグダラのマリア」やクリムトの「ダナエ」を見ると物理的な光の変化ではなく、人の内部にうごめく「情念の妖し」を表現しよとしているのが判ります。彫刻でも盛期バロック美術の最高傑作の一つであるとされるジャン・ロレンツォ・ベルニーニの「聖テレジアの法悦」は厳格な宗教美術とは思えない「陶酔」の極みを表現しています。その裏には原罪を背負った人間の苦悩が垣間見えます。透明な目から見れば「原罪」とかさんざん脅しておいて「神に縋ればこんな世界に行けるんだぞ」なんて風景にしか見えません。

「作品」に潜むうっとりは一筋縄ではいきません。一方、生理的に細胞が酸素で満たされる「陶酔感」は純粋で透明です。この白日夢のテラスで「原罪」について考える人はいません。冷えたワインかジンライムを片手に潮騒を聞きながら至福の開放感に浸るのが一番です。実はギリシャのミコノス島にもそんな現実風景があって→ ギャラリーからも行けます