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原風景「記憶の跡」
うっとり探偵団「アカデ ミアサロン」 Academia Salon by Uttori Tanteidan
建物に色濃く残る歴史の痕跡。右側は1905年のアメリカのピッツバーグ、ヨーロッパへの懐古を引き継ぐの昔ながらのレンガビルです。一方、中央の強固なコンクリート&石組みの建物は1941年のニューヨーク・ブルックリン公共図書館。風景に潜む物語とは・・・1905年は日本では日露戦争が終結した年(明治38年)です。当時世界一の軍事力を誇るロシアに勝利して日本は意気軒昂でした。しかしアメリカの反応は逆。日本がバルチック艦隊を沈めた時、アメリカには日本に対抗する艦隊を太平洋に持っていなかった・・・サル同然だったアジア人が超大国に挑んで勝った。この底知れむ恐怖心はやがて日本人移民に対する排斥運動に繋がります。翌年の1906年にはサンフランシスコ大地震が発生。世論は天変地変まで排斥運動に利用します。ヨーロッパの真似をしたレンガ造りの建物と対日参戦に自信をつけた1941年のコンクリート造りの堂々とした建物・・・「うっとり探偵団」が風景に潜む歴史の魔性を探検します。
この1900年代初頭のアメリカとは・・・1867年に、アラスカをロシアから購入し、1898年にはハワイ王国を併合し、スペインとの米西戦争に勝ってグアム、フィリピン、プエルトリコを植民地にし、キューバを保護国にして、1899年-1913年にかけてフィリピンを侵略。数十万のフィリピン人を虐殺し独立を鎮圧。1900年には義和団の乱平定に連合軍として清に派兵したのもこの頃です。そして1914年にヨーロッパで勃発した第一次世界大戦では当初中立を守るフリをしながら、アメリカの裏庭にあたるハイチ、ドミニカ共和国を占領して西半球における権益を確保しました。しかし英国のチャーチルの陰謀説が根強い「英客船ルシタニア号沈没事件」でドイツへの警戒から、1917年には連合国側として参戦します。1918年には共産主義の広まりを警戒してシベリア出兵を行なっています。続く1920年代空前の「繁栄の時代」を謳歌しますが、わずか9年後の1929年10月29日ウォール街の株大暴落「暗黒の木曜日」がきっかけで1939年まで続く世界恐慌が始まります。これが病魔となって第二次世界大戦に繋がります。
そして石造りの図書館が撮影された1941年。恐慌の苦しみからアメリカを解放したのは「戦争」です。同年12月7日(日本時間8日)、日本軍の真珠湾攻撃。日本にとっては泥沼の平洋戦争に突入します。アメリカの生産力に敵うわけがないのは初めから判っていまたが、アメリカも必死でした。アメリカの自動車製造会社はタンクや飛行機を作り、軍需品を生産するために600万人の女性が加工生産に携わりました。国民所得の上昇を抑え、乏しい消費財がインフレを起こさせないように、新しく創設された価格管理局が住居の賃貸料を統制し、砂糖からガソリンまでの消費財を配給し、価格上昇を抑えるように努めています。結果、終戦時の1945年の実質GDPは開戦時の1939年と比べて約2倍、失業率は急速に低下し、1945年には1.2%にまで低下しています。総力戦という点では日本とさほど変わらなかったのです。アメリカの歴史は繁栄も恐慌も戦争の産物だといえます。この風景はそんなアメリカの魔性の痕跡を留めています。