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原風景「作家の跡」  うっとり探偵団「アカデ ミアサロン」 Academia Salon by Uttori Tanteidan 


中央の石組みの堂々たる建物は1941年のアメリカの公立図書館。「えっ~!アメリカに文学なんてあったけ?」なんて人は認識不足。アメリカ人が獲得したノーベル文学賞だけでも・・・■1930年「シンクレア・ルイス」アロウスミスの生涯etc■1936年「ユージン・オニール」地平線の彼方etc■1938年「パール・S・バック」大地etc■1949年「ウィリアム・フォークナー」響きと怒りetc■1954年「アーネスト・ヘミングウェイ」老人と海etc■1962年「ジョン・スタインベック」怒りの葡萄etc■1976年「ソール・ベロー」フンボルトの贈り物etc■1978年「アイザック・バシェヴィス・シンガー」(イディッシュ語で創作)馬鹿のギンペルetc■1987年「ヨシフ・ブロツキー」(ソヴィエト連邦からの亡命者。主にロシア語で創作)大理石etc■1993年「トニ・モリソン」ビラヴドetc■2016年「ボブ・ディラン」風に吹かれてetc.
その特徴は「見たもの・聞いたもの」だけを信じる現実主義。アメリカの風土と歴史そのもの・・・風景に潜む文学を探検します。

アメリカらしい文学を産み出そうという風潮が出てきたのは米英戦争の後、英国のくびきから開放されてからです。エドガー・アラン・ポーもその先駆けです。 ラルフ・ウォルドー・エマソンの「自然」は宗教とは対立する高い精神性を主張して「超絶主義」運動を起こさせました。ナサニエル・ホーソーンも、地域社会から迫害される女性を描いて有名になりました。その友人であるハーマン・メルヴィルは、実際に捕鯨船に乗船した体験を元にした「白鯨」で、沈没した悲運の捕鯨船でただ一人だけ生き残った乗組員が書き残した白いマッコウクジラ「モビィ・ディック」を巡る数奇な体験手記の形式をとる傑作です。存命中は殆ど売れない作家でした。「うっとり探偵団」は若い頃、舞台となったマサチューセッツの「ナンタケット」を訪れて往時を偲んだものです。アメリカの詩に関しては20世紀初期から半ばにそのピークを迎えたと考えらますが知る人は多くありません。この後、偉大な作家が登場するからです。

マーク・トウェイン。スタイルはジャーナリズムの影響を受け、方言を取り入れ、直接的で飾り気が無いが高度に感情に訴えるものがあって今日のメディアに通じるものがあります。そしてアーネスト・ヘミングウェイ。小説家としても人間としてもその生き様は男の夢を体現した作家です。キューバはハバナの港町の居酒屋でラム酒でもあおりながら「老人と海」の話をしながらヘミングウェイを夢想する・・・我々「うっとり探偵団」の見果てぬ夢です。アメリカ初の女性小説家パール・バックはウェスト・バージニア州ヒルスボロで生まれ、生後3ヶ月で宣教師である父と母と共にに中国江蘇省の鎮江に渡っています。その幼児体験が「大地」にも色濃く反映しています。

更に「怒りの葡萄」「エデンの東」のジョン・スタインベック。「エデンの東」は19世紀後半から第一次世界大戦に至る時期のアメリカ合衆国カリフォルニア州サリナスを舞台に、創世記のカインとアベルの物語をモチーフとして、アイルランド移民であるハミルトン家と、東部から来たトラスク家の2家族の歴史を描いた作品ですが、映画でジェームス・ディーンが演じた父親からの愛を切望する息子の葛藤、反発、和解などが若い女性の胸を締めつけました。1930年代のパリの日常を、過去と現在の視点で描いたものですが、その作品内の性表現で発禁になった「北回帰線」のヘンリー・ミラーD・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」が有名になったのは、ケネディの暗殺犯オズワルドもジョン・レノンの暗殺犯チャップマンも両者が共通して愛読していたのがこの「ライ麦畑でつかまえて」だったから。アメリカ文学は良くも悪くもアメリカの歴史と風土の産別です。風景を見ると作家を思い浮かべる。作家を思い出すと風景が浮かぶ・・・風景の至福です。