原風景「映画駅」 うっとり探偵団「アカデ ミアサロン」 Academia Salon by Uttori Tanteidan
かって夢と希望を乗せて走っていた頃の「駅」には列車の音や人々の声で華やかな活気に溢れていました。それだけに廃駅となって「誰も居ない」「誰も来ない」場所には静謐感だけが流れています。この落差こそ「風景=情景」の深淵です。そこには「朽ち果てた場所」が「夢の跡」に変わる成分があります。日暮れの空に流れる雲もそんな有為転変を見守っています。アメリカ人には「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」の世界観は理解できなくても「透明感、ノスタルジア」という感覚は判るようです。駅が登場する昔の映画にもそんな濃密な「夢の跡」があります。「うっとり探偵団」が駅を印象的に描いた懐かしい映画を探検します。
華やかで忙しい空港や人生の転換点である港に比べて駅は地味・・・とは限りません。むしろ駅(鉄道)を舞台に、或いは駅を印象的に描く映画の名作は沢山あります。何といっても代表作は「
鉄道員」(1956年 監督:ピエトロ・ジェルミ)。映画はミラノから列車を運転してきた父親を迎えるためにサンドラ少年が駅に駆け付けるシーンから始まります。駅や機関車のシーンだけでなくカルロ・ルスティケリの哀愁溢れるギター音楽とサンドラ少年の舌足らずの会話が見る者をうっとりさせます。ネオレアリズモの最後の傑作と言われています。
「
旅路はるか」(1959年 監督:グラウコ・ペレグリーニ)はシシリー島の都カルタニセッタの孤児院出の少年が母を求めてイタリア縦断旅をする物語。駅構内に響き渡るアナウンスと雑踏の音から始まって情感を高めます。この出だしのサウンドだけでも価値があります。「
旅情」(1955年 監督:デヴィッド・リーン)はサンタルチア駅。アメリカ中のオールドミスをベネチアに誘いました。「
ひまわり」(1970年 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ)のラストシーンでも離れゆく列車を見送るソフィア・ローレンの姿にヘンリー・マンシーンの音楽が重なって見る者の涙腺を絞ります。1953年の「
終着駅」(1953年 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ)の舞台はローマのテルミニ駅。列車が入ってくるところから映画は始まります。この時、初めて「終着駅」という表現が使われました。夫と子をアメリカに残しローマにやってきた一人の女性が、そこで恋に落ちたイタリア青年の懇願を振り切って去って行くまでの物語で「終着駅」に集う様々な人の人生が点描されます。ラストの哀切はアレッサンドロ・チコニーニの音楽と相まって筆舌に尽し難いほどです。「
若者の全て」(1960年 監督:ルキノ・ヴィスコンティ)の物語もこの駅から始まっています。成功を夢見てミラノにやって来たイタリア南部の貧しい家族と都会での残酷な現実を叙情的に描いた作品で、南北イタリアの経済格差を鋭く追求したヴィスコンティの傑作。ニーノ・ロータの音楽が情感を掻き立てて止みません。アラン・ドロンの名演もさる事ながら、次男役のレナート・サルヴァトーリと娼婦役のアニー・ジラルドは実生活では夫婦になっています。
もうお気づきの方もいるかも知れませんが全てイタリアを舞台にした映画です。イタリアという国はどこに行っても「絵」になる国で、特に駅(stazione)は構内に入った途端にそこは「劇場」。ドーム型の屋根も音響効果を高めます。ホームが見えるカフェで「希望を乗せて入ってくる列車」や「離れゆく別離の列車」を見ているだけで、誰もが映画の主人公になります。
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