晴天の行楽日、風景は「客」が求める絵葉書のような光景を描き出して大サービス・・・誰もが同じような写真を撮って、美しい夕日も見ないで帰路を急ぐ。道が混むからです。「ノー天気な大衆相手にイイ天気なんて、馬鹿馬鹿しくてやってられませんよ!」・・・そんな風景の愚痴を聞けるのは妖しい雲が流れる荒天の午後。風景は我に帰って思いのたけをぶちまけます。「判った、判った。おまいの言うとおりだ。まあ、そう波風を立てなくても・・・」なんて慰めても大粒の涙を流して留まるところを知りません。こうなると手が付けられません。探偵団も現実に戻ります。「あれっ!雨だ!バイクが濡れるから帰ろっと!」・・・。で画像拡大
優れた映画監督や映像作家の作品を観れば一目瞭然・・・何のこと?「心象風景」のことです。これほど風景の本質を表した言葉はありません。勿論「うっとり探偵団」は文学的薀蓄ではなく、なぜそれが荒天の日なのか。特に雲が流れる淀んだ空に白波が立つ海はそれだけで何かを暗示して我々の脳を覚醒させます。これは異変を感じ取る本能の作用なのか、得体の知れない象徴作用なのか探偵団の脳も風雲急を告げるのであります。
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