ルネサンスの故郷”フィレンツェ”に伝統のカフェ・サロンが帰ってくる。1896年に小さなバール兼タバコ屋としてオープンして依頼、地元の名士、画家、作家達が何世代にも渡ってフィレンツェの文化の一翼を担っていた。やがて時代と共に衰退していた建物を2年間かけてリニューアルし今月オープンする。バールやレストランだけでなく、野外には有機農園、円形劇場、室内にはコンサートホールやワークシップも併設される。このレストランの厨房を任されるのが世界中の港町を巡って味覚と腕を磨いてきた元“Artegaia”のオーナーシェフだったAlessio Morelli・・・奥さんのTakako共々我が「うっとり探偵団」。浦賀の探偵団基地とコラボして国際的なアカデミア・サロンのネットワークを目指して準備中です。
誰も見たことがない妖しと不思議が潜む。「うっとりの迷宮」へようこそ。
敗戦後の危ない焼け跡は刺激的な遊び場、ガラクタの山はオモチャや模型の材料調達場・・・何もないからこそ想像力が育つ。誰もアテにできないから独立心が生まれる・・・ダメならゼロに戻るだけ。戦後最強世代がこの世に潜む「妖し」を探検・報告・提案します。
「間違えること」ではなく「その間違いに気付かない」「それを間違いだと認めない」・・・人に潜む罠です。欲望と恐怖の連鎖に気付かない。知識の99%は思い込みと仮説に過ぎないのに認めない・・・我々はそれほど賢くも、立派でも、強くもありません。その証拠に世界は何度も痛い目に遭いながら戦争や愚行を繰り返しています。人の業(ごう)なのか、人類が退化しているのか、誰かの陰謀なのか・・・「うっとり探偵団」が人と社会と環境に潜む「どっきり」と「うっとり」を探検します。
第二次世界大戦の犠牲者は推計6500万人。そのうち4000万人以上が武器を持たない市民・・・その無抵抗の市民を殺戮するという永遠に消すことのできない傷跡を人類は歴史に残したのです(NHK映像の世紀から)・・・わずか70年前の話です。誰もが二度とごめんだと思っている筈なのに世界は今も同じ愚行を繰り返している・・・理念や正義や規則では人は動きません。「人は歴史から学ばない」のではなく「学べない」。しかし絶望だけでは前に進めません。そこで発想の転換・・・
人間の愚かさに絶望する前に「何故そうなるのか」と考えます。それは変化の兆候をいち早く感知して最適な行動をとる「生物本来のアンテナ」ではなく「狂ったアンテナ」でものを見ているから・・・そこには増幅された恐怖が映るだけ。誰もがそれを薄々感づいているから余計に不安になる。それを欲望で打ち消す。更に不安が増幅する。そんな知覚と認識を狂わせるアンテナに誰がした?半分は自分、半分は「本当が映る」と困る人達です。子供の目で見たほうが早いかも知れません。
本来の高感度アンテナを正しい方向に向ける・・・想像してみて下さい。今まで曇っていた夜空が突然晴れ渡って満天の星が輝く光景を。それは細胞に酸素が行き渡った瞬間です。この「蘇生感」こそ我々が求めて止まない至高の官能です。この「生理的官能」がないと恐怖と欲望の「生理的バイアス」には勝てません。この蘇生感を共有するのがこの「うっとりプロジェクト」の目的。ローマ法王庁在日バチカン大使館も応援しています。
「デジタルなんてただの電気信号じゃないか」・・・アナログ人間を自負する世代の決まり文句ですが無意味な意見。例えば「旧世代」が流れる雲を見てコッペパンを想像するのは、空の青と雲の白の視覚刺激を網膜が「電気信号」として脳内「メモリー」に送り、これと過去の記憶「データベース」を「検索」してその時の気分に合う「記憶ファイル」を呼び出すと脳内にドーパミンが満ちて「情感」と呼ばれる現象を引き起こす・・・ 「デジタルかアナログ」かなんて言葉のアヤに過ぎません。
むしろデジタル最大のメリットは「普遍性」と「記録性」・・・3・11東日本大震災で多くのアルバムが流されたり海水に浸かって大切な記録が消えたことを思えばよく判る筈。PCが壊れたり、データが失われても「サーバー」には「記憶」が残る・・ある意味インターネットは「デジタル・メモリアル・パーク」・・・家族や友人が「閲覧という墓参り」をして「素敵な人でしたよね」なんて感涙する・・・まあ金輪際あり得ないにしも、誰でも、いつでも「うっとり」を共有できるのは「素敵」に違いありません。
1.我々の知覚と意識に潜む「どっきり」に気付いて覚醒。 2.透明で濃密な世界が齎す「うっとり」に包まれて陶酔。 3.人を元気にする覚醒&陶酔プロジェクトを「しっかり」拡散。 4.最後は自分だけでなく家族も社会をも救う「ぽっくり」で大円団・・・そんな活動です。Click to popup